河井寛次郎 略歴
1890年(明治23) 島根県安来市に生まれる。
1910年(20歳) 松江中学卒業。
東京高等工業学校窯業科に入学し、当時教鞭をとっていた
板谷波山に指導を受ける。
1913年(23歳) 濱田庄司と親しみ、釉薬や中国陶磁の研究を行う。
1914年(24歳) 卒業。京都市立陶芸試験場に入所、濱田と共に研究に励む。
1920年(30歳) 清水六兵衛より譲り受けた京都市五条坂の窯で作陶。
窯名「鐘渓窯」。
1926年(36歳) 柳宗悦、富本憲吉、濱田庄司らと
「日本民藝美術館設立趣意書」起草に参加。
1937年(47歳) 「鉄辰砂草花丸文壷」がパリ万国博覧会でグランプリ受賞
1955年(65歳) 文化勲章・人間国宝などに推挙されるも、辞退。
1956年(66歳) 「白地草花絵扁壷」がミラノ・トリエンナーレ国際工芸展で
グランプリ受賞。
1966年(76歳) 死去。