明治33年 | 3月24日、岡山県浅口郡玉島町にて、父・小山善太郎、母・幾無の長男として生まれる。 |
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昭和元年 | 朝鮮、中国の旅から帰京し、京都蛇ヶ谷に家を借り作陶を始める。 |
昭和8年 | 8月、川喜多半泥子の依頼により、千歳山に松薪窯の築窯の設計及び指導する。 10月、田澤坦の出版祝いの席で生まれてはじめての酒を飲む。 |
昭和16年 | 3月から5月まで中国古窯址踏調査旅行。 日華事変の戦火の真只中、4月10日に宿願の定窯古窯址を発見する。 |
昭和18年 | この年より鎌倉市二階堂に居住。 |
昭和36年 | 7月、永仁の壺事件で、文化財保護委員会事務局を辞職する。 |
昭和38年 | 4月、出光興産株式会社顧問。 |
昭和41年 | 鎌倉市二階堂の自宅に永福窯を築窯、初窯。 |
昭和48年 | 5月、花ノ木窯初窯。7月、花ノ木窯に転居。 |
昭和49年 | 11月、壺中居(東京)に続き、名古屋、京都、姫路、岡山にて「作陶十年展」を開く。 |
昭和50年 | 4月、「小山冨士夫・岑一 書と陶芸展」を銀座松屋で、「花ノ木窯作陶展」を赤坂グリーン・ギャラリーにて開く。 10月7日、75歳にて亡くなる。 |
昭和57年 | 万葉洞、銀座むね工芸の共催で「小山冨士夫遺作展」を開催。 |
平成7年 | 万葉洞みゆき店にて「小山冨士夫展」を開催。 |